日本語を学び初めて、N1に合格してからもう五年近く。 なのに、まだ一度も日本に一度も行ったことがないって、誰に言っても信じ難いよね。
今度、旧暦の新年で北京に帰るのをいい機会に、少し寄り道して、いよいよ日本で観光してきた。
今回は一週間ほど日本に滞在。 最初の四日は、スイスの修士課程で知り合った陳と一緒に、山梨・静岡を車で大まかに回ってきた。 残りの三日ほどは、東京の気に入った場所を自分ひとりで少し巡った程度。
一週間は初回としちゃ短いし、いろんな場所を気ままゆるく回る、という感じにはなれなかった。 けれど、複数回入国できるビザをスイスで取れたから、また今度こまめに来れば良いかなと思ってる。
この記事は、主に陳と一緒に歩いてたところを少し記録しておきたい。 東京はやっぱり都会感が強すぎて、その時もどこに行こうか結構迷ってたし、どう考えても富士山の旅ログに収めにくいなと思う。 まあその気になったらまた別の記事で書こうと思う。
東京へ
30日チューリッヒからカタール経由で、成田に到着したのは31日の午後1時くらい。 入国審査の行列に驚いたんだけど、予想以上に早く進んで、40分後にはもう成田の改札についた。
初めに日本の電車に乗るんだから、特急券とか全然わからなくて、一度間違って京急の改札に入ってしまった。 京急の駅員さんはとても親切で、特急券売機のまえが並んでで、現金も持ってないと聞いたら、入場記録を取り消してもらえた。 そのあとNEXの切符を買って、ギリギリ新宿行きの特急で予約したホテルについた。
初日に他の予定は入ってなかった。 ホテルで一休みしたあと、スイスから東大で交換留学をやってるケートを呼んできた。 何を食うか散々迷ったあと、新宿近くの焼き鳥の店にした。 ケートと三ヶ月ほど会ってないから、また顔を見れてめっちゃ嬉しかった。
ホテルの朝飯はめちゃ美味しかった。種類が多くて、どれもとても上品な味だった。 陳が「これでもう食べたいもの全て食べた」とか言って、俺も大満足。
他のお客さんはほぼ全て日本人のようで、俺たちみたいな観光客は全くいなかった。 そのぶん、結構本格的だと思う。 一名3900円で、日本一般の所得にしては高めだけど、それなり質がいいから文句は言えないね。
静岡、車を手に
朝飯の後、早速東京駅に行って新幹線で静岡へ出発。
富士山を車でじっくり眺めたいという狙いだけど、やっぱり新幹線は乗りたい。 中国の高速鉄道と乗り比べがしたかった。 東海道新幹線は海を沿って建てられたから、カーブとトンネルは結構多い。 でも思ったより揺れが少なく、結構穏やかで、窓の外を覗かないとカーブに気付きづらい。 車両もとても静かで乗り心地がよかった。 都内の電車と同じように、線路のすぐ近くに家とかがたてられるのも興味深い。
ケートが右側に座れば富士山が見られるとおススメしたんだけど、自由席で叶わなかった。
ちょっと寂しいけど、これから何日も富士山眺められるから全然平気って、自分に言い聞かせた。
静岡についたらすぐレンタカーの店を探し始めた。 豪華朝飯のおかげで、昼ごはんを省いても全然平気だった。
冬タイヤのついた車を借りる予定だったが、何軒も回った結果、どこも在庫切れ。 天候が良くて、みんな車を借りて山に向かったんじゃないかな。 結局、新幹線口のトヨタさんでノーマルタイヤの「コンパクト」のヤリスを借りた。 初めは少し小さすぎると感じたんだけど、あとのぐるぐる回る山道を走る時、この時の自分に感謝しか言えない。
運転はもちろん慣れたんだけど、これは人生初の右ハンドル車だ。 出庫するときは左折しなければならないとか、ターンシグナルスイッチが右側にあって、左側がワイパーとか、体が新しく覚える必要があった。 でもたった二時間経つと、もう慣れたなんて、ちょっとびっくりした。
富士山と初対面
静岡市を出て、最初の目的地は富士宮市だった。 けど、日本の高速道路はまだ走り慣れなくて、間違って富士川楽座という道の駅に迷い込んだ。 我が愛車ヤリスとの自撮りもここの駐車場で撮れた。
入ってみようと思ったら、めちゃくちゃいいところだった、むしろ運が良すぎるぐらい。 富士山を背景にゆっくりくつろげるし、あまりにもインスタ映えのピアノもあって、道の駅自体が観光地になっている。 中国やスイスの道の駅はこれとは全く比べ物にならない。
ここでいよいよ富士山との初対面とも言える。 富士川、その上に架けるかりがね橋、天に聳える富士山。 言葉が出なくて、ただ立って眺めてた。
ありがとう。いい写真撮れたよ。
浅間大社と遠近法
年末年始で大学の方はめちゃ忙しかったから、今回の旅は事前に細かく計画を作成してられなかった。 大まかな経路(富士一周)と移動手段(車)しか決めなかった。 具体的にどこに行って、何を見ようか、さっぱりだった。 宿泊も、肝心の静岡・富士五湖周へんの二泊は陳に任せた。
ということで、条件は「夜に精進湖の宿に着く」だけで、かなり余裕が出た。 地図を見たら、目にかかったのはまず富士山本宮浅間大社。 車から降りて、鳥居の下を通って、敷地内に入った。
紅に染まった楼門、回廊、二重楼閣作造りの本殿。 水がこんこんと出る手水舎。格子が少し錆びついた賽銭箱。 木の枝を透き通って見える富士山。 水温が13度一定で、毎秒3k L湧き出る湧玉池(わくたまいけ)。
先の街並みと全く違う空間に入り込んだ。
神社を訪ねるのは、陳も初めてだった。 だから、ここでの初詣は、今年だけでなく、人生初でもあった。 そして御神籤を引いたら、なんと大吉が出た。 何枚入れようか分からなかったから、百円玉をいくつか奉納したおかげかな。 その場で彼に感想を聞き忘れたなんて、ちょっと残念だったね。
諸事情により、俺が本殿を参拝しなかった。 それでも、色々見学した時の感動がすごかった。 自然との繋がりを強く感じる神社だと思った。 富士山が背景に、ここ富士宮に代々住んできた人々の思いが伝わってきた。
ここが初めて訪れた神社でよかった。
神社を後にして、旅館に向かうのはまだ早いと感じたんで、すぐ近くにある「静岡県富士山世界遺産センター」に向かった。 富士山の成り立ちや地理、登山の歴史、観光の発展、水墨絵や詩歌など、様々なテーマを詳しく展示された。 放映室で、<天の巻>という景色満載の宣伝動画も見た。 二時間くらいあれば、富士山のいろんな知識を身につけれる、寄り甲斐のある博物館だ。
富士山の展示を満喫した後、屋根にある展望台から、実物が見えた。 博物館の屋根はすごく高くて、周りになんの邪魔も入ってこなかった。 遠近法で遊んで、富士山と触れ合うフリをした。 来年の夏くらいで、登ってみようと思う。
宿、湖、緑の電話
博物館から出て、もう4時くらいになってて、もう宿に向かわないとならなかった。 元は日が暮れる前に宿に着いて、日没を宿の露天風呂で楽しもうと思ったけど、ちょっとのんびりしすぎた。
車でスイスドイツ語の曲を流しながら、山梨県境を入った。 まず気づいたのはどこにも見える「スリップ注意」「チェーン携行」の標識だった。 道もどんどん狭くなっていて、カーブもだんだん急になってた。 出発の時、タイヤチェーンを借りたらいいなって思ってた。 幸い、俺たちが富士山を回ったこの四日間、どの日も快晴で、雪は全然なかった。
日が暮れて、薄明の中に、着いたのは精進の湖畔にある「山田屋ホテル」だった。 部屋の扉を開いて、目に映ったのは、八畳の和室だった。 高校時代からアニメで見てきた温泉旅館の世界観に放り込めたようだった。 ご主人さんは俺たちがチェックインをいていたうちに、暖房をつけて、部屋を暖かくしてくれた。 旅でホテルに泊まるのはいつものことだったけど、初めて「おもてなし」を実感できた。
そして陳が灯を消して、この落ち着いた写真一枚を撮った。
晩飯はすごく綺麗に盛り付けた会席料理だった。 まあ、綺麗だけでなく、味もしっかり決まっていて、どれも美味しかった。 日本酒との相性も抜群で、酒がどんどん進んだ。 量が少なめに見えたが、全て食べ終わったら、驚くほど腹一杯になった。 朝飯も丁寧な盛り付けで、いい味だった。
宿の外に、緑の公衆電話があった。 アニメで何度も見たやつだ。 いろんな物語で、主人公を家族や友達、恋人、時には宇宙人や人工知能と繋いできたあの電話。
早速試してみようと思ったら、この時の俺は、一つだけ掛けれる番号を持っていた。 ケートが東京で渡してくれた、日本での携帯番号だ。
百円玉を入れ、何度も番号を打ち間違えたあと、ついに電話は百円玉を呑み込んだ。 繋がったと思ったら、留守電だった。 百円でメッセージ一つを残した形になった。
知らない番号だったから出なかっただろうと思い、WhatsApp で「電話に出て」を送った。 そしてもう一度百円玉を入れて、掛け直す。 今度はちゃんと繋がった。
ケートは、「緑の電話が見つかった」というつまらない理由で起こされたことに、少し呆れていた。 わざわざ百円を使って電話するのにも呆れていた。
でも俺にとってはとても楽しくて、ブーッと鳴るたびに、また百円玉を入れた。 それを知った彼女は、早く WhatsApp に切り替わろうと促した。
それに従って、次のブーッと鳴いた時は、新しく百円玉を入れずに、そのまま切れるまで喋り続けた。
陳は外で見守りながら、いくつか写真を撮ってくれた。 「レトロ方式で愛を伝える」とか言っていた。 まあ、そんなもんかな。
湖、お寺、腹拵え
時差のせいで、なかなか寝つけなかった。 朝3時、まだ暗い部屋で日の出の時間を調べていた。
7時ごろ陳を起こして、精進湖の湖畔で欠伸をしながら日の出を待っていた。
天気は良く、前夜から車が集まってきた。 湖がうっすらと凍り、氷の上には石がいくつも散らばっていた。
一つ拾って投げてみた。 石が跳ねるたび、びゅっーーとレーザーのような細い音が走って、長い残響を引いた。
やがて日が富士山の麓を登り始めると、世界は黄金色に染まった。
朝飯を済ませ、宿のご主人と猫と別れを告げて、早速車を出した。 富士山を回り始める前、「ゆるキャンΔ」の聖地巡礼をしたくて、身延に向かった。
途中に本栖湖畔のキャンブ場「浩庵」で、山道を走り始める前に背を伸ばした。 富士山は雲のスカートを着ているように見えた。
身延に立ち寄ったのは二箇所だけ:身延山久遠寺と饅頭屋さん。 朝食で満たされたお腹はまだ空かず、饅頭を食べる気になれなかった。 国道300号と県道805号の狭い急カーブを駆け抜け、お寺に到着。
久遠寺は仏教寺院なのに、建て方は神社に似ていて、少し驚いた。 特に、参拝前に手水舎で指と口を清める習慣は、中国の仏閣にない雰囲気だ。 神仏習合が古くから伝わった影響かな。
ほどんどの堂は間近で見学・参拝できるようになっている。 土足は禁止だが、本堂・棲神閣祖師堂・報恩閣など中心部の堂は、全て廊下で繋がっていた。 木製の床を歩き、木の軋む音を聞いて、ふと「隻狼」で主人公が仏閣の廊下を駆け抜ける場面が頭に浮かぶ。
見学を終えると、ロープウェイで身延山の頂上へ。 快晴で視界は良好。 山頂に三つの展望台からは、南東に富士川、北には南アルプスが広がって見えた。 陳と石を積んで、比べながら遊んだが、なかなか決着がつけなかった。
山から降りて、ちょうど小腹が減ってきたんで、饅頭屋さんに向かった。 狙いは和菓子屋「栄昇堂」で販売される「身延饅頭」。
試食のつもりで、一つ80円で、饅頭二つもらえた。 皮が柔らかく、中のこし餡が程よく甘くて、とてもおいしかった。 賞味期限が短くて、十個だけ買って、東京に持ち帰って友達に配った。
店主さんは、聖地巡礼が目当てだと聞くと、アニメのことを色々と教えてくれた。 あおいちゃんが座ってたベンチを教えたり、お気に入りのキャラを聞いたり(凛ちゃん)、写真まで撮ってくれた。 丁寧で優しい対応のおかげで、勉強不足の俺でも満喫できた。 本当にありがとう。
栄昇堂の駐車場は、あっぷるという定食類の店のすぐ側だった。 初めに車を止めて店に頭を突っ込んだんものの、飲食店だと気づき、恥ずかしくなって無言で立ち去った。 すると店主さんが追い出て、「饅頭屋さんはそっち」って、親切に教えてくれた。 饅頭屋を出たら、ちょうど昼飯の時間で、もう一度店に入った。
注文したのは、武田信玄の発明と言われた「ほうとう(餺飥)」と生ゆばさしのセット。 麺は柔らかく、弾力もあって、中国の手のび麺を連想させた。 お汁にかぼちゃとお肉が入ってて、濃厚でおいしかった。 セットで出た生ゆばさし、食感が面白かったんで、次回は生ゆばラーメンを試したいと思う。
店に入った時に他の客はいなかったけど、食べているうちにどんどんお客さんが入ってきた。 気づけば、久遠寺の僧侶さんたちや外国人の観光客まで入ってきて、俺たちを含めて客層はずいぶん様々だった。 会計の時、万円札しか持ってなくて、店のレジはあいにく千円札が足りてなかった。 店主さんが慌てて他の店に換金しに行ったのを見て、本当にすまなかったと思う。
湖は逃げていく
いろんなところを回ったら、時間があっという間に過ぎていた。 気づけばもう午後2時くらいで、本来の目標の富士山一周はまだ始まっていなかった。 夜8時返却の予定だったため、計画の一部を止むを得ず割愛した。 国道469号でなく、東名を通って山中湖に向かった。
県道147号に沿って、三国峠を乗り越えたら、着いたのは「山中湖パノラマ台」。 朝の本栖湖の展望台から見た樹海と違って、山麓に遠く広がっているススキ草原が見えた。 冬を迎え、枯れた草は黄金の色に染まっていた。 雪も思ったより低いところまで残り、曇り始めた空と相まって、富士山はまた違う表情を見せていた。
進んで次の目的地は河口湖。 出発前、ラボのドイツ同僚に強く勧められた場所だ。 これほど国際的に知られる湖で、どれほど静かさが残っているのだろう。 そんなことを考えながら、中央自動車道を走った。
湖が見える前に、まず視界に入るのは途切れない街並み。 国際学校や英語の不動産広告が続き、観光地であることを隠そうともしなかった。
やがて大石公園に着いた。 画面越しに見た花園はなく、冬の茂みしか見せてくれなかった。 富士山も雲の向こうに隠れ、そこにあるはずの姿を想像するしかない。 春にくれば、きっと違うのだろう。 そう思いながら、写真を撮っている人々の間を抜けて、富士五湖の最後、西湖へ向かった。
着いた時は、日が完全に沈んで、薄明も終わる頃だった。 湖は消えてゆく最後の日光を反射して、岸に置いていたボートの輪郭を描いていた。 さすがに帰る頃合いだったが、テンションは逆に高くなった。 ミヤジの「冬の花」を流しながら、夜の朝霧高原を走り抜いて、静岡に戻った。
家康公の歩みをたどる
徳川家康が立ち上げた浅間大社の次に、静岡でさらにかの大名の足跡を辿った。
まず訪れたのは、静岡の中心にある駿府城だった。 三ノ丸は今は学校や県庁になっていて、堀を見落とすと、敷地内に入っているのに気づきづらい。 でも少し歩けば、水際に立っている巽櫓が目に入り、ようやく城らしい姿が見えてきた。
東御門を通って見えた二ノ丸は、すごく落ち着いた雰囲気だった。 残冬の候で、まだ枯れていた芝生。 ベンチに座って、静かに語り合っていた人々。 桜の蜜を、花の間を跳ねながら啜っていたメジロ。 二日間移動し続けた俺たちも、この物静かさに少し息を抜くことができた。
再建された坤櫓(ひつじさるやぐら)の中は小さい博物館となっていた。 規模は大きくないが、きっちり展示が入っていて、徳川家康の生涯や武具、櫓再建の技術など、色々見学できた。
公園を去る前に、本丸にある家康公の銅像に辿り着いた。 時空を超えて、晩年でこの地に過ごした彼と目が合い、妙に背筋が伸びた。
東京に帰る前に、静岡で最後に訪れたのは、久能山東照宮だった。 駿府で晩年を過ごした家康公の安息地である。
バスの乗り換えを間違って、15分ほど次のバス停に歩かねばならない羽目になった。 しくじったことで落ち込んでいたけど、坂を越えた先に広がる駿河湾は、午後の陽を受けて白く眩しく光っていた。 その手前に、幼い頃に見たクレヨンしんちゃんの家と思わせる一軒家が並んでいた。 暖かい日差しの下ののどかな光景が、気分を一気に晴らした。
やがて次にバスに乗って、東照宮本宮の前に着いて、表参道を登り始めた。 1159段の階段には、体力を温存しつつ登っていた年配の方は多くいた。 まだ若い俺たちにとっては、登り始めたと思ったら、もう着いていた。
事情で参拝の予定はなく、軽やかな観光気分で巡っていた。 楼門、稲荷神社、実割梅ーー参道を登るたびに、目に入る景色は変わってゆく。
しかし唐門をくぐり、御社殿の前に立つと、気分はふと変わった。 朱塗りの柱と金箔の装飾が午後の光を受け、極彩色の軒は燃えるように輝いていた。 獅子や花鳥の彫刻は、まるで息をしているかのように生き生きとしていた。 装飾は何層も重なり、歩くたびに新しい意匠が目に入った。 後世の人々が家康公を敬い、祭り上げた思いが、静かに、でも確かに伝わってきた。
ついに辿り着いた最上段は、家康公のご遺骸が収められた神廟があった。 もっと厳粛で、張り詰めた空気を想像していたが、石の柵や階段に苔がむし、周りの林に静かに溶け込んでいた。
側に愛馬の墓と伝えられるところもあり、そのせいか、この場所に、どこか親しみを感じた。 華やかな御社殿と違い、ここには時そのものが積もっている。
神廟は西向きに建てられ、その延長線は京都へと伸びているという。 家康公は、数えきれぬ戦を経て切り拓いた天下を、今もなお遠く見渡しているのだろうか。
神社の見学が終わり、太鼓の音に誘われて、久能山の節分祭の会場に着いた。
「太鼓叩いてみませんか」と声をかけられ、せっかくだからと舞台に上がってみた。 そばでリードしてくれるメンバーの動きを真似しながら、腕を大きく振り、リズムを整えた。 思った以上に楽しかった。 観客のおばあさんたちも、俺と陳のはしゃぎぶりを見て、身振り手振りで応援してくれた。
調子に乗りすぎたのか、祭りがもうすぐ始まることにも気づかなかった。 すると、司会のお父さんが「お兄さん、どこから?」とマイクを差し出した。 どうやら場を温めるための即席インタビューだったらしい。
俺はスイスから、陳は上海から来たと答えると、司会さんは目を丸くしながら大喜びだった。 舞台を去る前に観客の皆さんにお辞儀した時、胸の奥にふと温かいものが広がった。 司会さんの言う通り、少しでも日中友好の架け橋になれたら嬉しいと思う。
飛び入り参加で最初は少し緊張していたが、祭り本番は思いきり楽しめた。 久能太鼓保存会の皆さんは、結成三十周年を記念して、これまでにない陣容で迫力ある演奏を披露してくれた。
締めの豆まきで、なんと景品を二つも入手。 土鈴は可愛らしくて嬉しかったが、1.8lのみりんは流石に扱いにくい。 幸い隣のお母さんと梅酒に交換してもらい、大満足のまま東京へ帰った。
まとめ
長い記事を最後まで読んでくれて、本当にありがとう。 書き始めた時は、まさかこんなに長い記事になるとは思わなかった。 四日間の旅を振り返り、旧暦新年の休暇を使って記事を書くこと丸六日。 でも、素敵な旅をもう一度思い出し、写真を選び、言葉に悩ませながら文章を練るのは、思ったよりずっと楽しかった。
今回の旅で改めて感じたのは、人々の優しさだ。 レンタカーの店、道の駅、宿、そして何より節分祭で会った皆さん。 どの場面でも、丁寧で親切な対応に触れ、とても心地よい体験ができた。
そして、今回いちばん運がよかったのは、天気に恵まれたことだ。 おかげで絶景も堪能でき、様々な場所も効率よく回ることができた。 ただ、流石に時間がなくて、本来の狙いの富士五湖は大ざっぱにしか見れなかった。 次はもう少し余裕を持って、ぎっしり詰め込まずとも楽しめる旅にしたいと思う。
どうして日本語?
このブログを前から読んできた方は、少し不思議に思うかもしれない: いつも英語で書いたのに、なんで今回は日本語で書いたの?
実は、今回日本に行く前に、「俺、まだどれくらい日本語を喋れるの?」って、かなり心細かった。 前回日本語を真剣に勉強したのは、もう五年前になる。 その時もだけど、スイスに来てからなおさら、日本語を使う機会がなかなかない。 実は俺の日本語力はもう結構鈍ったのかもしれない。 今回の滞在中、それを痛感した。
このブログは前より、情報工学のことを英語で書くのに限った。 これから、第二、第三の外国語の日本語やドイツ語で、もっと生活・旅の話を書こうと思う。 まだ書き慣れてないから、いろんな文法ミスや不自然さが見えるかもしれない。 訂正・ポイントがあれば、ぜひお構いなくコメント欄またはメールで教えてくれ。



















